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2008年4月20日 (日)

「仕方ない」の射程がわからない

宮台真司さんのブログを読みました。

『靖国 YASUKUNI』騒動を巡る巷の議論は、本質を全く捉えていない.というエントリです。

正直、書いてある内容の5割くらい理解しているかどうかあやしいのですけれども…、
私の理解が進まない理由のひとつは、「仕方ない」をキーワードとしているところにあると思ってます。
(ほかの理由は「『ミメーシス』、『価値多元主義』など言葉が難しいこと」などです…)

とりあえず、
「プリンスホテルが日教組への会場提供をキャンセルする」
「混乱を避けて映画館が上映を自粛する」
「交際を申し込まれた女が創価学会員は嫌いだと断る」
などが「仕方ない」のグループに入るようです。

ではたとえば、
「私営バスが創価学会員の乗車を拒否する」
「公営バスが創価学会員の乗車を拒否する」
「法律で創価学会員のバス乗車を禁止する」
といったことは、「仕方ない」のグループに入るのでしょうか。

なんだかわからないです。

(…なんか的外れなことに私は拘泥しているのでしょうか。)




追記
他の参考サイト

ぐわし!あべし!ひでぶ!:仕方が無いこと
http://blog.livedoor.jp/guwasiabesihidebu/archives/678011.html
赤尾晃一の授業だョ! 全員集合:「言論の自由」とは
http://d.hatena.ne.jp/redtail2733/20080422/1208787810
一水会前代表の鈴木邦男さんと食事をしながらお話ししました - MIYADAI.com Blog
http://www.miyadai.com/index.php?itemid=641
映画「靖国」に関連して宮台真司氏が発言 - folkragの日記
http://d.hatena.ne.jp/folkrag/20080417/1208438778

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コメント

確かに宮台さんの文章は難しいです。私も完全に理解しているわけではないです。

私の解釈では、要するに靖国問題に関して言うと、国会議員、街宣右翼、映画館、それぞれ、合法的合理的に物事を判断して行った行動であるだけで、誰も責めることができないという意味で「仕方がない」と言っているのだと思います。ただ全てのことを「仕方がない」と言って諦めるのはNGで、こういう事が起こらないような対策を日頃練っておくべきだ、という事を結論で言っています。逆に言うと、こういう混乱が起きていることが問題だ、と言っているのではないかと思います。

それと、「仕方ない」の射程についてですが、

「プリンスホテルが日教組への会場提供をキャンセルする」と、「混乱を避けて映画館が上映を自粛する」は同じロジックで、お客さんの安全を考えると、拒否するのも「仕方ない」になるかと思います。

「交際を申し込まれた女が創価学会員は嫌いだと断る」ですが、これは憲法の適用範囲の説明をするために出てきた話で、仕方がないかそうでないかの説明をするためのものではないかと思いますが、仕方がないかどうかで言うと、女側にも思想信条の自由があるので「仕方ない」になるかと思います。

また、「私営バスが創価学会員の乗車を拒否する」は、「創価学会員の乗車を拒否する」ための正当な理由(例えば、あくまで例えばですが、破壊活動を行う危険がある、などの理由があるなど)があれば「仕方がない」と思います。ただ、憲法違反ではないので、判断が難しいところです。

「公営バスが創価学会員の乗車を拒否する」は、公営なので憲法に縛られるため、「仕方なくない」です。おそらく、これは憲法違反になるかと思います。

「法律で創価学会員のバス乗車を禁止する」に関しては、憲法は国民から国家の命令なので、国家が試行する法律は憲法の枠内である必要があります。そうすると、この法律は憲法違反なのになるので、「仕方なくない」になるかと思います。

投稿 shintaness | 2008年4月20日 (日) 20時59分

コメントありがとうございます。


>「公営バスが創価学会員の乗車を拒否する」は、公営なので憲法に縛られるため、「仕方なくない」です。おそらく、これは憲法違反になるかと思います。


果たして本当にそう言い切れるのでしょうか。
統治権力などなくても私営バスは同様の行為をできるではありませんか。
乗車拒否というのは、私法上の行為であるという見方もできるのではないでしょうか。
「私人と対等の立場で行う国の行為」(または地方公共団体の行為)であって、つまりは私営バスと同様に憲法の私人間効力の問題ともいえる可能性があるのではないでしょうか。


宮台さんは「統治権力の問題」と「市民社会の問題(『仕方ない』のグループ)」を分けて考えている、
というのが、私とshintanessさんがした理解だと思うのですが、
どうもそれだと分ける人によって境界線がばらついてしまうようです。


それとも、私は間違った理解をしているのでしょうか。

投稿 イロハ | 2008年4月20日 (日) 22時25分

>果たして本当にそう言い切れるのでしょうか。
>統治権力などなくても私営バスは同様の行為をできるではありませんか。
>乗車拒否というのは、私法上の行為であるという見方もできるのではないでしょうか。
>「私人と対等の立場で行う国の行為」(または地方公共団体の行為)であって、つまりは私営バスと同様に憲法の私人間効力の問題ともいえる可能性があるのではないでしょうか。

いえ、言い切れないです。この辺りは詳しくないので自信がありません。すみません。

おそらく宮台さんとしては、統治権力の問題かそうでないかというところに力点を置いたわけではなく、仕方がないかそうでないかという所に力点があり、統治権力の問題はその判断材料としているだけだと思います。

仕方がないかそうでないかの境界線をどうやって引くかというところですが、①法から逸脱しているか否か、②法の範囲内であればその行為に客観的な合理性があったかどうか、ということだと思います。

イロハさんが仰るとおり、①の場合は法の解釈の仕方によって境界線がばらつくことはあると思います。②の合理的であったかどうかは①以上にばらつきがありそうです。

答えになっているかどうか分かりませんが・・・。

投稿 shintaness | 2008年4月21日 (月) 08時48分

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